能 <金春流> 見どころと物語

 「三輪」は前後の二場になっていること、囃子に合わせる「神楽」という舞があること、神杉を象徴する「作り物」が使われることなど、完成された能の特色をよく備えています。

 古代の大和を舞台にした奈良らしい能で、神の気を伝える「神楽」は、「歌と舞」を能の本質と考えた世阿弥の理想にそうものです。玄賓僧都を三輪の神が尋ねるという「仏教と神道との出会い」も日本らしく、こうした古代世界のなかに中国文化が採り入れられ、平城京がつくられたのでしょう。

 奈良県桜井市にある大神神社の境内には、玄賓僧都の衣が掛かっていたという「衣掛杉(ころもがけのすぎ)」と呼ばれる、周囲が10メートルの杉の古株が残っています。

 また仕舞の「井筒」は天理市石上の在原寺址、「野守」(のもり)は奈良市春日野が舞台です。

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 大和国三輪山の麓に、世を捨て庵を結び、仏に仕えていた一人の僧都がおりました。名を玄賓と申します。
 その玄賓僧都のもとに毎日、美しい女人が、仏に供える樒(しきみ)と閼伽(あか)水を持って通ってまいります。
 ある秋も深まる夜のこと。女人は夜寒をしのぐ衣を賜りたいと請います。乞われるまま衣を与え、住居を問うと、女人は「我が庵は三輪の山本恋しくは訪い来ませ杉立てる門」の古歌を残して立ち去りました。その歌を頼りに訪ねて見ると、二本の杉の大木の枝に、先ほど与えた衣が掛けてあるではありませんか。女人は三輪明神の化身だったのです。

姿をあらわした三輪明神は、三輪山の杉にまつわる昔話など聞かせ、神楽を舞い、夜明けと共に消えて行きます。